2020年11月初め、AFPが報じた巨大氷山「A68a」に関する情報の概要は、すでにお知らせした通りです。その後の続報を見ましても、どうやら「A68a」は、サウスジョージア島に向かって大きな弧を描きながら、漂流を続けているようです。
今回は、そもそもなぜ巨大氷山の漂流がそれほどの話題になるのか?仮に「A68a」が漂着した場合、はたして、サウスジョージア島のペンギンたちにどのようなことが起きると考えられるのか?シミュレーションしてみたいと思います。
まず、基本的なことから・・・巨大氷山の呼び名=「A68a」とはなんでしょうか?実は、「氷山」は海水が凍ってできたものではありません。陸地に降った雪が氷となり、分厚い氷河となって海に達すると、場合によってはそこで融解してしまわずに、海面にまで押し出していくことがあります。これを「棚氷:たなごおり」とよびます。南極大陸には膨大な量の大陸氷河があり、その多くが周辺の海に向かって動いています。従って、地形に左右されながら、南極にはいくつかの巨大棚氷が発達しているのです。その棚氷が割れ、海に流れ出したものが氷山なのです。だから、氷山の氷は塩辛くありません。
南極最大の棚氷は、ロス海(太平洋のほぼ南方)南部のロス棚氷。面積は約487,000k㎡、日本の総面積の1.28倍あります。氷の厚さは200m以上、600kmにわたってロス海と接しています。二番目に大きな棚氷は、ウエッデル海(大西洋のほぼ南方)南部にあるフィルフィナー棚氷(東側)とロンネ棚氷(西側)です。総面積は450,000k㎡(日本の約1.19倍)です。このウエッデル海の北西部、南アメリカ大陸に向かってのびる南極半島の東側には、それより小さなラーセン棚氷があり、その一部=「ラーセンC」とよばれる棚氷から分離したのが、今話題の巨大氷山「A68a」なのです。ちなみに、ラーセン棚氷は3つに分裂しており、ラーセンAは1995年に、ラーセンBは2002年に各々崩壊して無数の氷山を生みました。残っているラーセンCにも次々に亀裂が入り、崩壊の一途をたどっています。ラーセンCから分離した「A68a」の面積は東京都の総面積の2倍ほどあるわけですから、南極の棚氷と氷山がもつスケールの大きさに、改めて驚きます。ここではこれ以上触れませんが、棚氷から氷山が分離するたびに、「世界の海水面」が少しずつ上昇していくことを忘れてはいけません。
話を「A68a」にもどしましょう。次に、この氷山の呼び名について、簡単に補足説明しておきます。南極から流れ出る氷山を、気象衛星などの人工衛星で確認し追跡し始めたのは、半世紀ほど前、1970年代のこと。数ある氷山の中でも、特に大きなものには符号がつけられていきました。符号のつけ方は、以下の通り。
- 南極点を中心に、南極を4つの象限に分割します。すなわち、東経0°~西経90°までを「A」、西経90°~180°までを「B」、東経180°から東経90°までを「C」、東経90°~東経0°までを「D」とします。
- 各象限で巨大氷山が発生すると、毎年、その発生順に番号(数字)をつけていきます。例えば「A68」とは、「2017年に南極大陸沿岸部の東経0°~西経90°の範囲で発生した68番目の巨大氷山」ということになります。
- さらに、その巨大氷山が小さく分裂していく度に、大きい順に「a、b、c・・・」とアルファベットをつけていきます。従って、「A68a」とは、「2017年に南極大陸沿岸部の東経0°~90°の範囲で発生した68番目の巨大氷山が分裂したものの内、最も大きな破片」というわけです。
ところで、今回の出来事について考える時、忘れてはならない先行事例があります。観測史上最大の氷山「B15」の物語です。この氷山が生まれたのは2003年3月のこと。南極最大の棚氷=ロス棚氷(ルーズベルト島付近)から分離しました。大きさは、295km×37km、面積11,000k㎡(東京都の約5倍、「A68a」の約2倍)でした。やがて、ロス海を時計回りの沿岸流にのって北上し始めた「B15」は、2005年10月に分裂し、最大の破片=「B15A(この時は大文字):6,400k㎡」はその後十数年間漂流を続けたのです。例えば。2006年11月、ニュージーランドのティマルー海岸沖60kmに達した時には、全長18km、海面からの高さ最大37mでした。やがて、「周極流(南極の周囲を時計回りに流れる海流)」にのった「B15Z」は、南大西洋に入り、フォークランド諸島とサウスジョージア島の間の海域で消滅していきました。この間、主にロス海にあるアデリーペンギンとエンペラーペンギンの複数の繁殖地が消滅し、多くの個体が衰弱したり、広大な氷原に生まれた無数の深い亀裂に落下して凍死したりしたのです。その様子は、一部生々しいドキュメント映像として、世界中で報道されました。
さらに、2010年12月、南極東部、コモンウェルス湾デニソン岬に座礁した「B09B(約2,900k㎡)」は、アデリーペンギンのコロニーに大打撃を与えました。その一部始終は、その地でアデリーペンギンを研究していたオーストラリアとニュージーランドの研究グループによって、詳細に報告されています。そこで100年以上前から繁殖していた約16万羽のアデリーペンギンの内、15万羽が死亡し、生き残った個体も激しく衰弱したのです。
さて、では問題の「A68a」がサウスジョージア島に座礁した場合、そこで繁殖しているペンギンたちには、どんなことが起きるのでしょうか?
現在、サウスジョージア島では、キングペンギン、マカロニペンギン、ジェンツーペンギン、ヒゲペンギンの4種が繁殖しています。
キングペンギンの個体数(成鳥のみ)は 約90万羽、最近10年間は増加傾向にあります。マカロニペンギンの個体数(成鳥のみ)は約200万羽。しかし、1980年代には約1000万羽、1990年代には約540万羽いたことを考えると、急激に減少していると言ってよいでしょう。ジェンツーペンギンの個体数(成鳥のみ)は、約2万羽。しかし、サウスジョージア島のバード島では、最近25年間で個体数が約67%減少しており、全体としては減少傾向にあると言えます。ヒゲペンギンの個体数(成鳥のみ)は約3600羽。今世紀に入ってから、ヒゲペンギンは全体的に増加傾向にあり、サウスジョージア島は比較的新しい繁殖地だと考えられています。
一方、過去の「巨大氷山漂着による周辺環境への主な影響」としては、次の6点があげられます。
1、座礁時の地震・振動、2、周辺の地形(海氷、海岸)の変形、3、気温の低下、4、氷山壁の崩落に伴う津波の発生、5、沿岸部の海中・海底の低温化、6、沿岸部の海中・海底への太陽光の減少
これから南半球は夏に向かいます。サウスジョージア島には、これら4種のペンギンたち(成鳥)が、繁殖のため次々に戻ってきつつあります。親鳥たちは、繁殖に備えてたっぷり食べて、体力を整えなければなりません。また、彼らの主な繁殖地は、海岸近くに分布しており、餌生物が集中する海域との往復時間をできるだけ短縮するように工夫されているのです。しかも、これら4種には、全て「集団で繁殖」する生態があります。
・・・となると、以下のような状況が想定されるでしょう。
- 巨大氷山の接近に伴って、島周辺の海水温、気温が低下する。周辺海域で、ペンギンの餌となる生物、イカや小魚の分布と行動が大きく変化する。平面的な変化だけでなく、餌生物が海中深く潜る可能性が高くなる。気温・海水温の低下によって、親鳥やヒナたちの体力消耗が激しくなり、繁殖成功率が低下する。
- 座礁時の振動によって、ヒナや親鳥たちのストレスが高まり、繁殖成功率が低下する。
- 座礁したサイドの海岸近くに繁殖地があった場合、繁殖地から海に出る経路が絶たれたり、広大な氷上を親鳥たちが踏破できなくなったりして繁殖成功率が低下する。
- 氷山壁の崩落によって発生する津波によって、海岸部の繁殖地が破壊される。
- 周辺海域の海底に太陽光が届かなくなることにより、植物プランクトンや動物プランクトンの増殖が阻害され、ペンギンたちには餌となるイカや小魚が集まってこなくなる。
これらの要素に加えて、特にキングペンギンの場合は、「3年間に2回」という繁殖周期が災いする可能性があります。つまり、キングペンギンのヒナたちは1年半かけて巣立ちするので、無事に成長するためには、その間の餌の量や安定した環境の確保が不可欠なのです。サウスジョージア島が、クロゼ島とならんで、キングペンギンの最大級の繁殖地だということを考えると、この島が10年以上長期的な環境変動に見舞われることは、キングにとっては「種の存続」に関わる重大な事態だと言えるでしょう。
さて、ここまで述べてきたことが、全て徒労に終わることを、心から願っております。いずれにしても、地球温暖化の進展に伴って、
今後も巨大氷山の漂流や座礁がより頻繁に起きることが予想されます。日本から遥か遠い南半球で起きている出来事です。しかも、「A68a」の現在位置は、「日本からみて地球の反対側=対蹠点」にあたります。しかし、そこには豊かな自然があり、多くの貴重な野生動物が生活しているのです。今一度、「A68a」の今後の動きに、ご注目下さい。