今回のメインテーマは「飼育環境デザイン」です。原題は「 Habitat Design and Containment 」ですから「飼育場のデザインとその容量(広さ)」ということになります。ペンギンは海鳥ですから、飼育施設は、基本的に陸上部分(日本では一般的に丘場=オカバと呼んでいます)とプールで構成されます。かつて、日本だけでなく海外の動物園や水族館では、陸上部は立派に造ってもプールはほんの付け足し程度、ということがよくありました。今回は、内外のペンギン飼育施設の歴史的変遷を詳しくご紹介する余裕はありませんので、簡単に結論だけ指摘すると、「水族館でのペンギン飼育施設の増加にともなって動物園での施設改善が進んだ」といって良いでしょう。いわゆる「水回り」への配慮が、動物園と水族館とでは格段に違ったからです。水族館は、その名の通り「水生生物」を専門とする飼育施設です。従って、「水管理」は最も重要な仕事として、極めて高度で繊細な配慮が払われてきました。一方、動物園にも「水生生物」は多少いますし、
歴史的には動物園の一部に水族館があるという形式が一般的だった時代もありました。しかし、例えばカバやワニ、アシカのように、大きな池が準備されてはいたものの、その池の水の管理、あるいは観察し易さへの配慮は、あまり徹底したものではありませんでした。もちろん、例外はあります。バーゲンベックの革命的飼育施設(動物園)では、滝や噴水を巧みに採り入れるなど、先進的な試みがみられました。しかし、一般的には、コンクリート製の狭く四角いプールに、じっと沈んでいるカバを上から観察する、ということが普通でした。実は、ペンギンの飼育施設の変遷こそが、ペンギンのエンリッチメントの変遷を語るのに、最も相応しいテーマなのです。というわけで、この項目の解説は、2回(前編・後編)に分けて書いていきたいと思います。
今回は、「広さと容量」について見ていきましょう。
私は、2018年8月現在、内外のペンギン飼育・展示施設、累計22ヵ所(動物園8、水族館14)の監修をしてきました。その中には、動物園・水族館の新設という大プロジェクトもありましたし、一部リニューアルという内容もありました。最初の依頼は、神戸市立王子動物園のリニューアルで、30年ほど前のことです。今では、水深1メートルほどのプールの側面がガラス張りになっていて、ペンギンたちの潜水行動を観察できるというのは当たり前になっています。しかし、当時は、動物園でそのような施設造りをしている所は非常に少なかったのです。その時に、一番大変だったのは、水質管理でした。ペンギンプールの水を適切に管理できなければ、ペンギンの健康も保てませんし、水中の行動を観察することもできないからです。水質管理については、また述べる機会があると思いますので、ここでは、陸上部分の広さとプール容量についてふれておきましょう。
AZAの『ペンギン飼育マニュアル』では、この項目の冒頭に「必要とされる広さ(プール水深・容量含む)の最低基準」という一覧表があります。実は、私には、この数値がどのような基準で算出されたのか、よく理解できません。仮に、エンリッチメントという観点を全く無視したとしても、エンペラーペンギンとキングペンギンをひとまとめにし、「その他のペンギン」をひとまとめにするという二分法は、何が根拠になっているのでしょうか?乱暴な想像ですが、「エンペラーとキングは巣をつくらない」、「その他は巣をつくる」という基準だったとしても、エンペラーとキングとでは「縄張り意識」に大きな違いがありますし、「その他」の中にも巣穴をつくるタイプとつくらないタイプの二つがあり、これらは各々かなり異なる繁殖生態を持っています。
飼育エリアを「隔離空間」・「検疫空間」・「一般飼育空間」の三つに分けて考えるというのは、基本的なことですが、極めて重要なポイントです。しかし、敢えてつけ加えれば、「隔離空間」には「病理的(治療・予防のための)隔離空間」と「繁殖(特に人工繁殖)のための隔離空間」の二種類が必要です。しかも、これらの空間は、各々できるだけ広く数が多いことが望ましいので、1羽あるいは6羽単位で換算できるわけではありません。大切なのは、場当たり的な個体数管理に流されるのではなく、各施設毎に最適な個体数と血統管理、繁殖計画をしっかり確立した上で、飼育施設、飼育空間の広さやプール容量を考えていくことです。あるいは逆に、現状のハード面での環境(広さや容量)をしっかり把握した上で、そこに最適な個体数を考えていくことです。
基本に戻りましょう。まず、ペンギンは野生動物です。かれらは、本来広大な海洋と繁殖地を舞台に生活しています。たとえ極めて密集した一大コロニーを形成していたとしても、かれらは最初から「最低限の広さ」を求めて密集したのではありません。海にいたっては、広ければ広いほど良いのです。この点をきちんと理解できていないと、こういう質問が出るのです。「ペンギンはどれくらい狭い飼育場まで耐えられますか?」答えは「やってみなければわからない」です。ペンギンの種類と数、単純な面積と容量だけでは、最適な飼育環境についての結論は出せないからです。一例をあげれば、同じ1平方メートルでも、段差をつければ、そこにいられるペンギンの数は変わるのです。
従って、今回の結論はこうです。この「必要とされる広さ(容量)の最低基準」の表は、あくまでも「参考データ」とお考え下さい。大切なことは、より多くのファクターを十分考慮して、各々のペンギンの生態に即した広さと容量とを考えていくことなのです。
次に「AZAペンギン飼育マニュアル」原本に記された「施設デザイン」について考えていきましょう。
まず、全体的に陸上部分(丘場)に関する説明が中心であることが大きな特徴で、プールに関する配慮はあまり見当たりません。後に、機械設備(例えば、濾過装置、ポンプを含む排水設備、取水設備、造波装置、水流発生装置など)についての項目で詳しく解説があるのだと思いますが、プールのデザインは、景観的にもエンリッチメントの上でも、極めて重要なファクターですから、一定の配慮が欲しかったところです。
再び、基本に戻りましょう。ペンギンは海鳥です。18種類平均して、一生の70%前後の時間を海上または海中で過ごす鳥です。陸上生活は3割に過ぎません。この基本生態を考慮し、これを動物園や水族館で再現したいのであれば、「陸上生活と水中生活のバランスを如何に実現し保つのか?」ということが「施設デザイン」の最も重要なテーマになるはず。しかし、残念ながら、このマニュアルには、その配慮や意識が、あまり強くは感じられません。もし、しっかりした「ペンギン・エンリッチメント実現」を目指すならば、この問題は避けて通ってはいけないと考えています。「ペンギン飼育マニュアル」づくりの、これからの課題としておきましょう。
さて、では、このマニュアルの特徴である「陸上部分の施設デザイン」について、確認していきましょう。「ペンギンは群居性である」という指摘はその通りです。陸上でのペンギンは、基本的に「群生活」が中心です。しかも、捕食者からの危険回避や餌生物獲得、そして繁殖成功率などを高めることなどを考慮すると、群れは大きいほど有利です。もう1つ大切なポイント、「個体差も大きい」、という点に配慮が必要です。つまり、同じ種類ならば行動や特徴はみな一律だ…と決めつけてはいけない、ということです。
別の言い方をしましょう。まず、ペンギンは群生活が基本ですが、特定のリーダーやボスは存在しません。従って、一見全ての個体が同じ行動をしているように見えても、実は、例外的行動や個別の行動をしていることが普通なのです。つまり、飼育下でも「ペンギンはできるだけ多数の個体群で飼育すべき」だし、もしそうならば陸上部分もプールもできるだけ広い方が良い…ということになります。同時に、全ての個体が同一行動をとるわけではないので、陸上部分のデザインには、多様性と多くの選択肢とが求められる…ということになります。
このマニュアルでは、随所に多様性への配慮が見られます。例えば、岩(おそらく擬岩ではなく本物の岩)の配置を適宜変更するとか、移動可能な「柵」の役割をする流木等を配置するとか、さらに景観においては「様々な視点を確保する」とか、陸上部分の基質(主な素材、あるいは床面の素材)を多様化する…といった指摘は、注目すべきです。特に、「基質」に関する細かい事例は参考になるでしょう。最近は、これらの素材に別の「人工土壌」や「園芸用基材」を組み合わせて、水はけ、臭気対策、趾瘤症対策、清掃対策等を効果的に実現しようという試みもあります。特に、高温多湿の日本では、コンクリートに小石を埋設してフラットな面積を軽減したり、丸石を多用する傾向が顕著です。実際、温帯に生息するペンギンは、砂地、砂利、土などを主な繁殖地にしていますから、このような工夫は、極めて実効性が高く、エンリッチメント効果も高いと考えられます。
これ以外にも、陸上部分のデザインに関しては、「ペンギンの脱出防止策」、「捕食者・害獣対策」、「清掃への配慮」、「隔離エリアへの配慮」など、極めて重要な指摘が数多くあります。これらについても解説したいところですが、それは後日の宿題として、最後に1つ、非常に重要な項目があることを指摘しておきたいと思います。それは「緊急時プロトコル」です。
各々の動物園や水族館では、それぞれ立地する地方自治体や国、あるいは企業が定めた各種法例または内規によって、「緊急事態への対応マニュアル」が定められていると思います。しかし、その内容がスタッフ全員に十分周知され、訓練が行き届いているか?…と言えば、「完璧だ!」と胸を張って断言できる施設は、果たしてどれくらいあるのでしょうか?つまり、ペンギンの施設デザインにも、緊急事態への配慮が、予め、繰り返しますが「計画・設計段階」から、組み込まれ、十分検証され、周知されていなければならないのです。このマニュアルでは、観客サイドの安全管理とスタッフの作業上の安全管理という側面から、各項目毎に短い言及があります。これは注目すべき特長で、日本では、往々にして「観客からのクレイム対策」という側面からのみの検討に終わってしまう傾向が顕著で、いつも残念なことだと感じています。
アメリカ合衆国では、超大型ハリケーン発生に脅かされているメキシコ湾岸や、豪雪に見舞われる大西洋岸、また環太平洋地震帯に位置する太平洋岸の施設を中心に、様々な災害発生を想定した各種訓練が実施されたり、実際に被災した施設から近隣の安全な施設へと、ケープペンギンの移送が実施された実例もあります。日本でも、様々な大災害の危険が年々増している現状を考えると、施設を新設したり、リニューアルしたりする際には、必ず「緊急事態に対応し得る施設計画・行動マニュアル」整備への配慮と実現とが求められていると強く感じています。例えば、冬場になると必ずやってくる「鳥インフルエンザ」への対応については、関係者各レベルでの共通認識醸成と、具体的かつより効果的な対応を検討し工夫していくことが、避けて通れない緊急の課題となっています。現代日本のペンギン飼育施設には、その場しのぎの対策ではなく、施設デザイン時からの、根本的対策が強く求められているのです。
【ペンギン大学 学長 上田一生】
1年間のほとんどにおいて、動物園や水族館のペンギンは摂餌、営巣、社会的な行動を主とする。繁殖、営巣、遊泳といった適切な行動をするのに十分な展示場が必要で、隔離エリアや検疫エリアも同様である。